デザイン思考をはじめ、メソドロジー、方法論としてデザインを組み込むということはもちろんやっています。今回ご訪問いただいたWiseman Foundryの工房などは*1まさにそうで、3Dプリンティング等を駆使して形にすることで興味の方向性や経験、スキルが異なる人たちがコラボレートし、同じ目線でいろんなアイデアを出し合う。ものの色や形といった次元を超えて、広い意味でのデザインを取り込むことには力を入れています。そうしたことに興味がある学生も多くいますよ。

*1 Babson College Weissman Foundryの Anna Van Voorhis氏のインタビュー後に実施

バブソンはビジネス、その中でも特に事業創造に力点を置いていると理解しています。「デザイン」を取り入れていくにあたって、他の教育機関や企業との連携は?

バブソンの場合、まずキャンパスに隣接してオーリン工科大学という理工系の大学があり、また、近隣にはリベラルアーツで定評のあるウェルズリーカレッジがあります。これらの大学とは、単位互換や共同プロジェクトなどを積極的にやっています。
ご指摘の通り、バブソンの学生はどちらかというと、いわゆる文系、社会科学系の素養を持つ学生が多い。そのため、新規事業のプランを構築するときにプロトタイプがいる、アプリを作ろう、コードを書かなければとなると、必ずオーリンに行こうとなる。そんな習慣は根づいていると思います。そうした交流というのは、もうかれこれ10年以上実践されています。
学生だけではなく、教員も交流に積極的です。オーリンでもアントレプレナーシップは教えられており、バブソンとお互いにカリキュラムについてヒアリングをし合う。あちらは工学を中心にテクノロジーを商用化したり、マーケットに出したりする中で、アントレプレナーシップでナンバーワンの大学、つまりバブソンから学びたいという思いがあるわけです。ウェルズリーも含めて、BOW―Babson、Olin、Wellesleyの略です―という組織体(https://www.bow3colleges.org/)を作っていて、学生はその仕組を通して各大学から授業を履修できるようにしています。教員間のネットワークやコラボレーションもここが母体となることが多いですね。

そうした大学間連携で、特徴的なプログラムは?

ADE、Affordable Design Entrepreneurshipというものがあります。開発途上国や新興地域などで、例えば水資源が不足しているといった社会課題にフォーカスして、その中でアフォーダブル、つまり多額の予算や最先端のテクノロジーがなくてもその問題を解決できるビジネスを考えて実装していく、という授業です。先述の3大学の学生が履修できて、常にプロジェクトが走っています。何らかのテーマ、例えばインドの貧困問題などについて、あるセメスターにはリサーチプロジェクトを立ち上げます。すると、そのセメスターに履修した学生たちはそこにひたすら注力します。ここはどちらかというと開発支援やコンサルティング的な要素が強い。そして、次のセメスターあるいは年度には、そこで得られたデータをもとにソリューションを考え、プロトタイピングをする。さらに次になると、実際にインドに行ってフィールド実験をやるタイミングだ、というように、フェーズが毎セメスターで入れ替わっていくわけです。学生は自分が履修したタイミングで取り上げられるプロジェクトに取り組み、次に引き継いでいきます。

ADEを担当する教員側の体制は?

Co-Teachingスタイルで、バブソンから1人、オーリンから1人、計2人です。基本的には固定で同じ方がやっていますが、たまには入れ替わりもあり、ADEに限らず、バブソンでは全ての授業について、誰でも教えられるようにシラバスをはじめTeaching Notesやスライド、ワークショップ教材などがそろえられています。ただし、何か根源に立ち戻る必要が出てきたときには、あの先生に聞こうといった存在はいます。

今おっしゃったCo-Teachingは、バブソンにおける教育指針とお見受けします。

まさに。バブソンの名物コースの一つに、学部1年生で誰もが履修する必修のFME、Foundation of Management and Entrepreneurshipがあります。約500人の新入生がまず40人程度のクラスに分けられ、その中でクラス毎に2~3のリアルビジネスが立ち上がり(秋セメスター)、それから経営した後に事業をたたみます(春セメスター)。大学1年生により毎年約40ビジネスが運営されるという、とんでもないことを20年以上やっているわけで、ここでも必ず事業機会、Opportunityに関して教える教員と、Organizational Behavior、組織と人の行動や心理について教える教員がペアになって担当するように制度設計されています。
500人全体で見たときにクラス間のバランスをどうするかということについてはいろんなことを試してきて、今でも常に試行錯誤しています。クラスの人数を変えてみたり、1チームあたりの人数を少なくしたり、教え方も統一するようにしたり、あるいは学生のクラス分けも希望をとってみたり、逆に完全にランダムにしてみたり…教える側も、必ずしも誰もが担当したいというものではない。何しろ、何がどうなるか、毎回分かりませんから。なので、担当教員の選定もいろいろと試しています。FMEは起業家的思考と行動法則を学ぶバブソンの看板授業であり、それをここまで徹底的に検証し、試行錯誤する、ということそのものがバブソンらしさ、アントレプレナーシップ教育の真髄なのではないかと思います。

その他に、アントレプレナーシップ教育の核となるマインドというか、姿勢のようなものはありますか?

アントレプレナーシップ教育に限った話ではありませんが、何かの試験をするとします。そのとき、アメリカの教育全般にいえることとして、「答えは一つではない」というのが前提にあるんです。例えば、試験直前の授業で、「今度の試験では、こんな問題が出ますよ」と例題を示す。そして、「答えがAだと思う人?」と聞いて、手をあげた学生に「なぜ?」と問い、彼女がこれこれこうだからと説明したら「ハイ正解」と。で、みんな納得してない顔をしますよね。そこで「じゃあ、答えはBだと思う人?」と聞くと、また手があがる。理由を聞いて説明してくれたら、また「ハイ正解」。両方正解だと。
それはなぜかというと、答えそのものではなく、考え方をテストしているからなんですよ。しかし、特にアジア系の学生は「わけが分からない」と言うわけですよ。「結局正解は何なんですか」と。でも、それって世界のありようからかけ離れた問いですよね。だって、この世の中に「正解は一つ」のことなんて、まずないじゃないですか。だから、「答えは一つ」という世界観、モデルから脱却して、「答えはいくつもあっていいし、もしかしたら『正解』なんてないのかもしれない。でも、あなたが何を正解と思うのか、それはハッキリ自分の言葉で言えるようにしておかなきゃいけないし、それを他の人に納得してもらえるようにできなきゃいけないし、自分が正解だとして提示したビジョンについては責任を持ってやり遂げなきゃいけないよ」という、そんなアプローチが重要になってきているんじゃないでしょうか。